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おすすめ戦国時代歴史マンガ!『信長を殺した男』

信長を殺した男3巻

1577年、上杉謙信と柴田勝家が加賀で激突するが、その陣中秀吉は、柴田軍を離れる。

柴田軍を離れなければ、謙信にも勝利していたかもしれないと光秀は語るも、秀吉の化けの皮が剥がれた!秀吉の新の姿とは、貪欲にのし上がっていくことであった。天下泰平を夢見る光秀とは一線を画す。

1578年、丹後丹波攻略を目指す織田軍は、総大将に光秀を任命するが、細川藤孝に与力を命じた。以前の雇い主が、光秀の指揮下となった。細川藤孝は、苦渋の思いを隠せないでいる。その思いに漬け込む秀吉がいた。

さらに光秀を逆賊に仕立て上げたのは、秀吉だとわかった!

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秀吉はどのようにして光秀を逆賊に仕立て上げたのか?

信長を殺した男2巻

1581年、エスパニアが他国の征服に乗り出しこ事を聞く。さらにポルトガルもまた、他国に勢力を伸ばし始めていた。世界の列強に対抗するため、信長は明国を武力で征服することを計画する。ここから信長と光秀の確執が生まれた!

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光秀が信長ではなく、本当に殺そうとした人間とは?

信長を殺した男1巻

本能寺の変は、豊臣秀吉が自身の野望のために歴史の事実を書き換えたものだった。本能寺の変は信長の企てを止めるために行ったものであった!徳川家康とともに謀反の計画を秘密裏に進めていたが、内通者により、秀吉は本能寺で信長を討つことを知っていた。

明智光秀49歳のとき、細川藤孝に仕える中間の身分であった。

1565年、室町幕府将軍足利義輝が殺されるクーデターがあった。そのとき、義輝の弟義昭は、光秀と共に近江国そして越前国と亡命していった。おかげで光秀は義昭の足軽衆に出世した。

1568年、光秀は足利義昭とともに信長に会いに行き初めて信長と出会う。

1569年、本圀寺で将軍義昭とともにいた光秀は、斎藤龍興らに攻められたが、細川藤孝の援軍のおかげもあって義昭を守ることに成功した。そして、将軍義昭の奉公衆に出世した。

1570年、信長は将軍義昭を厳しく制する五ヶ条の掟を出した。それは越前攻めの序章であった。天下泰平の商業基盤を作るため、伊勢・津島、越前・若狭、堺の三方の流通を考えたものであった。

この年、信長は朝倉を攻めたが、浅井の裏切りにあい、一旦退却する。その後、姉川の合戦を挟み、浅井・朝倉が坂本に攻め込んだが、織田軍が向かっている情報から比叡山に逃げ込んだ。比叡山は仏門であり本来は中立のはずが、浅井・朝倉に味方したのだった。

光秀は比叡山焼き討ちを進言するが、信長はから浅井・朝倉を追い出すか焼き討ちか選択権を与えた。信長の温情は無視され、将軍義昭の仲介から両軍和睦となった。

1571年、光秀の進言通り比叡山焼き討ちを果たす。信長の正式家臣となった光秀は、坂本の地を与えられた。

1581年、信長はイエズス会ヴァリニャーノが連れてきた黒人ヤスフェを気に入り家臣にする。名前を彌介とした。

1582年、博多商人島井宗室と光秀が出会った時、信長と光秀の火種が燃え始めた。信長最期の時、彌介は予は予自ら死を招いたと信長の言葉を聞いた!彌介は生き延び本当は別の男が殺されるはずだったと聞く!

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博多商人島井宗室との会合とは?本能寺の変の引き金になった信長の企てとは?光秀を裏切り秀吉の内通者となったものとは?本能寺で殺されるはずだった人物とは?