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ヴラド・ドラルク1巻
1448年、ヴラドはオスマン帝国の支援を受けてワラキア公となった。父兄を暗殺されたためであったが、失脚していた。
1449年、ヴラドはモルダヴィア公国に逃げ延びた。その地でいとこシュテファンの父ボグダンの世話になる。ボグダンはモルダヴィア公国の公であった。
1451年、ボグダン公は殺害され、ヴラドとシュテファンはトランシルヴァニアに落ち延びる。
1456年、大国オスマン帝国とハンガリー王国に挟まれたワラキア公国がバルカン半島にあった。ワラキア公国の殿(マリアタ)となったヴラドとシュテファン。ヴラドは殿でありながら名ばかり存在であった。
ハンガリーの推挙でヴラドは、殿となった。後の暴君と称される。ハンガリー王国と対オスマン帝国盟約を結んだ翌日、オスマン帝国から3億6千万もの貢納金を要求される。貢納を断ればワラキアに侵攻してくるため、安易に考える貴族の意向に反して貢納金を納めることを使節団に約束する。大貴族アルヴを頼り事態を収拾し、オスマン帝国はヴラドを君公と認めた。
公室評議員ストイカが亡くなり、後任を決める際、ヴラドは、信頼する人物コンスタインティンを後任にしようと画策し、見事成功させる。
貴族特権を無くし、国力を強化したいヴラドは、商人達と手を組みたいと考えていた。ヴラドの父親に仕えていたリナルトは、内膳長に就任し、ヴラドを助けることになる。
ヴラドはシュテファンをモルダヴィアの公に復権させようとする。兵を集めていたヴラドの拠点をアルブは攻めた。ヴラドは逆手にとってアルブを追い詰めていく。
次巻
大貴族アルヴに対抗するヴラド。引き返せない一線を越え、ワラキアに多くの血が流れる。
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